遅れてきた反抗期

最近妙に反抗的な発想をするおっさんの日記のようなもの

以前はテレビや世間・ネットなどの情報を簡単に信じていた私ですが最近は妙に信じなくなってきたどころか反論すらするようになりました
主にそんな反抗的な見解を書いていこうと思っています
しかし無駄に長かったり話の方向がブレて着地点を見失う癖があります

性格は変わらない?

結果から言えば変わります。
しかし性格というのはこれまで生きてきた人生全てをかけて作り上げてきたものなので突然変われと言われて変わるものではなく、ある程度の学習能力とこれまでの人生を上回る経験が必用です。
上回ると聞くとかなり難易度が高く感じるかも知れませんが難しくはありません。
これまでやったことのない事をやればそれは上回っているのと同じです。

ここまでピンと来てない人も多いかと思いますが具体的な話をすれば解ると思います。
よく怒りっぽかった人が怒らなくなると「丸くなった」と表現されます。
これが高齢者の場合は脳の病気やその前兆の可能性もありますが多くの場合は20代か30代ぐらいで言われるんじゃないでしょうか?

人が怒る条件というのは大抵は想定していない事が起こったときです。
ある程度の学習能力が有れば怒りながらも一度経験した事は次回から想定するようになります。
心の中で『まさかとは思うけどこうなるんじゃないか』と想定したとしましょう。
ついでに『もしそうなったら怒ってやろう』と思ったとしましょう。
しかし実際にそのまさかが起こった時、想定していなかったときほどの衝動的な怒りは込み上げません、むしろ『やっぱりか』と諦めにも似た感情がわきます。

起こってしまったことを責めるよりこの先どうするか考えます。
これが丸くなったの正体です。
逆に言うとよく怒る人は経験も想定も浅いということです。
何度も同じことで同じように怒れるとしたら学習能力も怪しいと思います。

よく怒るといえば一部政治家の姿を思い浮かべる人も居るかと思います。
政治家の多くは大した社会経験もなく若い頃はどう転んでもいいような事を扱ってきて周りから持ち上げられて不快な事を避けてきていることが多いので、ある程度の年齢になって重要な役割を持って他の党との対立やマスコミ対応という初めての体験をするためではないかと思います。

話を戻して今の性格というのは幼いころからの経験で出来ています。
子供というのは知識ゼロで生まれて親を中心とした自分を取り巻く環境などによる教育で知識も性格を変わります。
教育といっても環境から飛び込む情報とそれに対して持った疑問を質問し、親などがそれに答えるだけです。
近年核家族が普通になって十分に子供の相手をする時間がないためにこの質問に十分な対応が出来ずに成長しきれない人が多いんじゃないかと思います。
また近年の日本では国民が貧しくなり金銭的に子供の興味の芽を摘まなくてはならないという家庭も多いと思います。
忙しさを言い訳に子供の質問に怒って黙らせるという対応をした場合に思考停止型の人間になるという意見もあります。

稀にテレビドラマなどで普段忙しい父親が稀に子供と共に行動する描写だと思いますが「何だお前こんな事も解らないのか?」というセリフを聞くことがありますがこう言ってやりたいです。

「何だお前そんな事も教えてないのか?」と

子供を育てる立場にある人は日々1人の人間のパラーメータ設定をし続けているという意識を持って、いい加減な対応や質問に対して怒って黙らせるということのないよう注意する必要があります。