遅れてきた反抗期

最近妙に反抗的な発想をするおっさんの日記のようなもの

以前はテレビや世間・ネットなどの情報を簡単に信じていた私ですが最近は妙に信じなくなってきたどころか反論すらするようになりました
主にそんな反抗的な見解を書いていこうと思っています
しかし無駄に長かったり話の方向がブレて着地点を見失う癖があります

動機不明な犯罪

先日、比較的よく見る番組で近年有りがちな『誰でもよかった』『殺してみたかった』という(恐らく一定世代以上の常人には)理解し難い犯罪について語られていました

その番組では何かの専門家を招いて話を伺っていましたが、何か差別的思考を持っているのか「4歳くらいでその傾向が有ることが解る」などと生まれたときから人間ではないかのように決めつけている気配でした

そんなものはそこから大人になるまでで変えようと思えば変えられると思います
なぜそういう人が大人になってそういう犯罪を起こすかと言えば、4歳まででそうなってしまった環境(主に家庭)を大人になるまで変えずに育てたからです

『人間らしさ』(各国の文化によって『人間らしさ』は違うと思いますが)を持ち合わせていないことは解っていて、どうしてそうなったかを考えずに元々違う人間なんだと考えているので解決策が判らないのだと思います

ここで言う『人間らしさ』とは他人を思いやる気持ちや命に対する考え方だと思いますが、昭和辺りから標準的になった核家族化に原因があると思います

なぜ簡単に命を奪うことが出来るのか?

大人になるまで親しい人の死というものを体験していないために人が死んだら悲しむ人が居るということが解らないのです
これは祖父母や曾祖父母が同居していても近年の寿命では体験しない可能性も有りますが、肉体的に衰えていく姿を見て労わる気持ちは持てます

核家族でも自分が存在する以上は必ず祖父母や曾祖父母が居るのですが、年に1回会うかどうかの人が遠くで亡くなっても『人間は歳をとると死ぬんだ』くらいの認識で大した悲しみも持たないと思います

更に核家族ではコミュニケーションが不足します
コミュニケーションは日本人の感覚での『人間らしさ』を覚える上で欠かせないものです
誰も居ない家に帰って夜まで待ってやっと帰ってきた親とそれほど話す時間もなく就寝時間なんて家庭も有ると思います
家族がどんなに子供のことを大切に思って育てていても子供とのコミュニケーションが無ければ子供にそれは伝わりません
それが伝わらなかった子供はちょっとしたことで親すら殺すかもしれません

近年、コミュニケーションが苦手な人が増えて色んな場面でコミュニケーション不要なシステムが有難がられていますが、更にコミュニケーション障害を増やすかなり危険なことだと思います

何世代かが同居すれば幼少期の子供の世話は祖父母がすることが多いと思います
子供は祖父母の他人とのコミュニケーションを見て他人との距離感やコミュニケーションの方法を学びます
また初めての子供を育てる場合、親は何も知らないので間違った育て方をする可能性が高くなります
これも祖父母が同居していれば即座に間違いを正すことが出来ます

しかし核家族化にるコミュニケーション障害に近い人が既に老後を迎えつつある時代にこんなことを言ってももう遅いのかも知れません

ノープロブレム(いや問題ありすぎ)