遅れてきた反抗期

最近妙に反抗的な発想をするおっさんの日記のようなもの

以前はテレビや世間・ネットなどの情報を簡単に信じていた私ですが最近は妙に信じなくなってきたどころか反論すらするようになりました
主にそんな反抗的な見解を書いていこうと思っています
しかし無駄に長かったり話の方向がブレて着地点を見失う癖があります

イジメ問題

イジメ問題は昔から絶えず定期的に取り上げられています

「イジメを止めよう」なんて呼び掛けたりしていますが、そんな呼びかけでイジメを無くすのは不可能でしょう
むしろ「強くなれ」と言いたいです
しかしこの言葉もイジメる側に真意は伝わらず「お客様は神様」のような履き違えが起こるでしょう

 イジメの構図というのは弱い者が更に弱い者を見つけて行うものです
これは動物の世界でも有りがちな事で恐らく弱い者が強さを誇示したくて行うからです

 では強者はどうなのか?
強さを誇示するために戦う事はなく、弱者を守るために戦います

昔は大人でも子供でもときどきそんな強者が居たものです

しかし現代にはそんな強者は存在しないでしょうね

これは現代の社会にも似ている気がします
昔は一代で財を成した強者が多く居ました
強者は災害時の援助など弱者を守るために大金を使うことを躊躇いません
税制度だって収入の少ない(またはない)弱者からは取らず、収入の多い強者が負担するという制度でした
弱者を守る意識に目覚めていた強者が多かったからそうなっていたのだと思います

 弱者を守る意識は自分自身を守ることで精いっぱいな状態では目覚めることはないと思いますが、ほぼ全ての生命体に備わっている本能のようなものだと思います

絶滅の危機に瀕したとき、1人だけが助かっても種としては絶滅ですから

 しかしそういう意識に目覚めることの出来ない強者ぶりたい弱者はそれを偽善と呼びたがります
「強さを誇示したい弱者」というのは見栄を張る人と似てますね

 そんな時代から数十年が経ち、民間も政治も世の中は二世三世の時代です
二世からは元々強者に守られていた弱者で、強者に育つ可能性は低いと思います
起業や政治参入にペナルティ的な資金がかかるようにして新規参入し難くしているので今の世の中はほぼ強者不在です

政治すら強者不在で弱い者イジメの制度を作り勝ちな時代にイジメを無くそうなんて不可能なのだと思います
こうなるともう履き違えでいいからイジメられても耐えられる打たれ強さが必要なのかもしれません

 

コミュニケーション障害

近年蔓延しているこの言葉、本来の意味は恐らく言語障害など脳の障害由来の症状で上手く会話が出来ないことだと思いますが、近年は人見知りを表したり自称が多くなったりで全ての方に当てはまりそうな勢いです。

これを一番感じるのは意外にも車の運転です。

運転中に会話なんて必要ないのになぜ?と思うかもしれませんが車にもいくつかのコミュニケーションツールが備わっています。
特にウィンカーは近年正しく点灯しない方が多数派になっています。
恐らくこれを正しく使えない事は上手く会話が出来ないのと根は同じだと思います。
(目的意識がないからやらない、やらないから理解する力がつかない)

なぜ近年これが増えているのか?環境の変化が主な原因ではないでしょうか?

昔、田舎では近所の関係性が深くただ近所なだけで親戚以上の付き合いをしていたものです。
そのために家に居ても毎日誰かが訪ねてきて顔を合わせれば挨拶や会話をしていました。
外へ出れば家の中より更に顔を合わせるので挨拶や会話の機会が増えます。
こんな風に子供の頃から他人との軽い会話に慣れていったものです。
都会でも下町なんかはそれに近いものがあったと思います。
しかし近年はそれが薄くなり当然コミュニケーションも減っています。

そしてコミュニケーション不足による障害が色んなところに出ていると感じます。
例えば車なら交差点で向かい合った車がお互いに対向車を待って進まず、沈黙ののちにようやく両者右ウィンカーを点けるなんて場面を見かけます。(自分の意思表示もせずに何かを求めてる人って結構居ますよね)

中には右折のために右ウィンカーを点けて停止している車の右側(対向車線)に出てしまう後続車まで居ます。
これはウィンカーの意味すら考えなくなってただ車が止まっているとしか認識できなくなっています。
右折車が止まっているといことは対向車などにより進めない状態であるため、ちょっとしたパニックになっていました。(誰かからの話を理解できていないけど聞き返そうともせず勝手な解釈をしている方はこれに近いと思います)

コミュニケーションなんて無駄な話と思うかもしれませんが、人はコミュニケーションにより情報を得て自分の持っている情報の誤りを正し、サンプル数を増やし精度を上げたり新たな知識を得たりします。

そしてコミュニケーション不足による悪影響はこんな些細な出来事に留まりません。

個人差はあると思いますがコミュニケーションをしなくなると情報の不足分を脳内で補おうとします。
他人の意図するところなど考えても答えが出るはずのないことまで答えを出そうとします。
(もしも答えが出るような方が居たら既に以下のような病気かもしれません)
このような状態でストレスなどにより睡眠不足に陥るような事があると統合失調症になる可能性が高くなります。

統合失調症は遺伝と言われていましたが、誰にでも起こる可能性があると思います。
これは患者として認識された方だけのデータから傾向を作ったためではないでしょうか?
(喫煙率が非常に高い時代にある病気の患者のほとんどが喫煙者だから原因は喫煙だとしていたようなもの)

統合失調症は幻聴や幻覚が主な症状として挙げられます。
多くの人は現実に有り得ないことが見えたり聞こえたりしたら自分が病気と気付くと思うかもしれません。
しかし寝ているときに見る夢を思い出してください、正気の時に考えたら笑ってしまうぐらい有り得ない事でも夢の中ではそれを現実として真面目に対応するものです。
統合失調症は起きていながらな夢を見ているような病気なので自分で気付くことは困難です。

どうして統合失調症は誰にでも起こると考えるのか?
どんな人でも数日寝ないと幻覚や幻聴が出ると言われています。
そして統合失調症の症状と覚せい剤による影響もまた似たものが有ります。
陰と陽ぐらい違うイメージがあるかもしれませんが恐らくほぼ同じです。
(この3者は「睡眠不足」というワードで結ばれると考えます)

覚せい剤が人を廃人にすると言われますが、統合失調症も同じです。
発症すると脳を正常な状態に戻すのはほぼ不可能です。
症状を繰り返すと更に状態は悪くなります。

昔は精神科というものは大きな街に1~2か所ある程度で心療内科などは有りませんでした
近年は大きな街なら10か所以上の精神科・心療内科があり、小さな町でも心療内科があるくらい増えています。
それだけ増えても予約が2~3か月待ちなどになっているようです。

テレビのニュースでもおよそ当事者が統合失調症と思える事件が増えてきました。

近年は”不登校 ≠ 引きこもり”を容認するようになってきましたが、これは良い事とは言えません。
自殺よりマシという考えから容認されるようになった思いますが、引きこもりは究極のコミュニケーション不足の状態で成長しない上に将来的に統合失調症で普通の生活が出来なくなるリスクが高くなります。
学校以上のコミュニケーションの場はないと思いますが、不登校を許すなら学校に代わるコミュニケーションの場を与えましょう。

昔から日常的に繰り返されているコミュニケーションには多くのメリットがあるはずです。
どのようなメリットが有るのかなど考えたらきっと多くの人はコミュニケーション障害(人見知り)を克服できるのではないでしょうか。

小学校でプログラミングが必修化?

論理的思考の習得を目的としているということですが疑問だらけです。

本当に何もないところから全てを自分で組み立てるプログラムをやらせるなら大賛成です。
しかしターゲットが小学生であることや内容が曖昧なこと、使用する教材がどうも素人が細かい事を考えずに使えるものを予定していそうなことなどからほぼ意味のないことな気がします。
企業が行っている技術を習得する講習会と称した宣伝のようなものの臭いすらします。

論理的思考とか物事の順序とか言っているようですが細かい事はアプリケーションが帳尻合わせてくれるから気にせずシーケンスだけ考えればいいとするとまったく無意味です。

例えばある日の予定を決める場合、あの店へ行ってあれを買って次の店へ行ってあれを買ってというシーケンス的な予定は誰でも考えると思います。
しかし店が休みだったらどうするか?また店はやっていたが買うべき物が品切れならどうするか?代替出来そうな製品が有るがそれで済ませるか?など細かい事はそうなってから考えるなんて人も多いんじゃないでしょうか?
しかしプログラムというのはその場になって考えるは通用しません。
予め全て想定してプログラムされていなければならないからです。

ちゃんとプログラムをやれば何か考えるときに直ぐに色んな選択肢が想定出来るようになりますが、細かい所はアプリケーション頼りでは思考に何の変化も起こりません。
しかし例え本格的にやったとしても学校の勉強適度でそこまで育つことはないとも思えます。

また学校の勉強というのは明確な正解・不正解を設定しがちですがプログラムに明確な正解・不正解を設定するのは難しいため、評価も困難なものになります。
先生の頭が固いために斬新かつ合理的なプログラムを理解出来ないなんて可能性も有ります。

なんでこんなことになったのか?
近年は政治ですら進める順番よりも重要度の順番を優先して失敗するので子供に教育したいと思ったのか?
よりも色んな業界で役立ちそうで将来有望だったドローンが規制などにより展開が難しくなり、どういう手段で取りついたかは知りませんが教育方面に食い込んだだけじゃないかと思います。

若い世代に伝えるべき雪国の常識

大雪からの雨

雨で雪が溶けてくれるから安心?

と思ってしまいがちですが実は大雪からの雨は非常に怖いことです。

降った段階では軽い雪ですが積もると圧縮され体積に対する重みは増します。
これだけでも結構重いのですが雨が降るとスポンジが水を吸うように水を含み重さは何倍にも増します。
この重みによって建物が倒壊する危険性が高まります。

近年の家屋はそれほど広くない面積に建てるため屋根の面積も小さく、また構造も襖や障子戸などが少なく柱が多く入っているのでかなり強くなっていますが、面積が広くて部屋も広く柱が少ない古い建物などは要注意です。

雪国で屋根の雪を落とすのは勿論雪の重みで倒壊しないようにという目的も有りますが、雨が降り出してからではもう遅いので雨に備えてという方が大きいと思います。

もうひとつ

大量に雪が積もっていたり、雪かきで山にした雪はクッションになるから屋根から飛び降りても平気と思うかもしれません。
確かにほとんどの場合は飛び降りたことによる怪我はしないと思います。
しかし雪に埋まって自力では抜け出せなくなる可能性があります。
後先考えずに飛び降りるのは止めましょう。

死人に口なしなので解りませんが屋根の雪下ろし中に転落とか屋根からの落雪に埋もれて死亡という事故の中には案外これが含まれているんじゃないかという気がします。

積雪報道

東京で雪が降ると交通が麻痺して大きく報道されます。
それを見て雪国の人などで「あの程度の雪で」とか「転んだだけで怪我をして報道される」などと言う方も居ます。
実際東京では積もって精々20cm程度、1日50cm以上積もることも珍しくない雪国では20cm程度は当たり前で話題にもならないと思いますが、実際の雪による被害などはむしろ雪国の方が多いいんじゃないかと思います。

「あの程度の雪で」
東京では年に1回積もるかどうか程度なので雪に対する装備・対策などはしないので当然のことです。
毎年日本のどこかで洪水が起こっていますが、その対策として救命胴衣やゴムボートを日常的に持ち歩く人なんか居ませんよね?

じゃあ雪国では雪に対する装備をしているし「あの程度の雪で」って言うくらいだから何もないのかと言うとそうでもありません。
しばらく積雪が無い日が続いた後の積雪や凍結では大渋滞が起こるし報道はされませんが細かい事故が無数に起きて警察の手が足りないなんてことになっています。
普段は車で15分のところが3時間かかろうと報道されません。

しかも以前は混乱は初日だけだったのですが近年は同じことを毎日のように繰り返します。
冬場は車にスコップ装備が常識的なのですが動けなくなっている車で何も装備しておらず自分では何もできないという場面もよく目撃します。
他の車が動けなくなっているのを見ても自分は大丈夫という謎の自信があるようですが危険です。
このような事態でエンジンをかけたまま車に留まれば雪が積もり車内に排気ガスが入り死亡する可能性があり、エンジンを止めれば凍死の可能性もあります。

「転んだだけで怪我をして報道される」
これはマスコミの努力の結果ではないかと思います。
何も起こらないと番組で時間も取れないというのが主な理由かと思いますが、これを報道することで注意喚起の説得力にも繋がります。
毎日出かけるときに「車に気を付けて」などと言われて特に何も考えずに「わかってる」と返していた方も多いと思います。
しかしもしも具体的に近所の人が近くの交差点で事故に遭って大怪我をしたから気を付けなさいと言われたら聞き流さず気を付けるのではないでしょうか?

雪国では毎年のように除雪中の死亡事故などが起こりますが報道は東京での転んで怪我と同じくらいの扱いです。 人も車も雪国より圧倒的に多い上に雪対策なしであの程度の報道で済んでいる東京はむしろ優秀とも思えます。

詐欺メール

何度か詐欺系のメールを受けたことが有りますがほぼ全てが不特定多数に一斉送信されていると思われるメールでした。
しかし今回初めて非常に人間味溢れるメールを受けました。

詐欺メールには返信しないことと散々言われているので”詐欺”と解る内容ならば返信する方はほぼ居ないと思います。

なのであえて言い換えます

誰から誰に宛てたのかを特定出来る情報のないメールには返信しない

どういうことかと言うと最初に受けたメールの内容がほぼオレオレ詐欺と同じ手法で、相手が勝手に誰かと勘違いしてくれることを期待したような内容でした。

名乗らず呼ばずいきなり「元気?」のような内容を送り付けそうな雑な知り合いって誰でも数人は心当たりがあると思います。
携帯電話によるメールが普及してからはこれが多数派かもしれません。

しかしここで勝手に誰かだと思い込んだり、特定は出来ないもののおよそ知り合いだろうと思い込んで返信すれば詐欺師にとっては騙せそうな迂闊な人が現在使用中の有効メールアドレスゲットとなり、あとは手を変え品を変え色んなメールを送り付けるだけです。
(返信しなくてもサーバからエラーが返らない時点でどこかに届いていることが明らかにはなりますが、返信しないことで迷惑メールとして自動処理されている可能性が高くなります)

最初のメールを無視するとしばらくしてから立て続けにメールが届き始めました。
ここから話に肉付けされながら更に返信を要求するわけですが、このメールには以下の目的があると考えます。

 ・何かの間違いで送られていることを相手に伝えようという親切心からの返信狙い
 ・このまま送り続けられたら迷惑だから止めて欲しいという返信狙い

立て続けに送るというのは送信者の手際が悪いという可能性も若干有りますが、それよりも相手を焦らせることが目的と考えられます。
とにかく返信という選択肢は捨てるべきです。
もしも直ぐにでもなんとかしたいと思うならメールソフトやサーバの迷惑メール対策を利用しましょう。

そしてこれも無視し続けると次の手を打ってきました。

アドレスを張り付けたメールを送ってくるようになりました。
ブログに画像を投稿したので見てくれというような内容が書かれていました。
人によってはどんな相手か見てみたくてアクセスするかもしれませんが罠の可能性が高いと思います。
「いいね」をお願いしてくるのですがこれもアクセスしても「いいね」しなければいいんじゃないかと思わせる手段ではないかと考えます。

そこにアクセスすることは返信とは違って不特定多数がアクセス出来る場所なんだから心配ないと思うかもしれませんが、例えばアクセス制限をかけていて検索でヒットすることがなくどこからのLinkも存在しないとしたら?

そこにアクセスすることは返信とほぼ同じ意味を持つことになります。
アクセス解析により携帯電話会社もしくはプロバイダとおよその地域まで特定出来る可能性があるのでそれ以上です)

ここまで慌ただしくメールを送り付けてきましたが、ここでこのアドレスからのメールは終了しました。
ただし数日後によく見かける感じの詐欺メールが届きました。

某業者がまたメールアドレスを漏らしたとしたら色々と続くかとも思いましたが違いそうです。

通常よく見かける詐欺メールは「数うちゃ当たる」で不特定多数に対して1通を送るのですが、無視すると律義にダメ押しメールを送ってくる辺りがいかにも同じ人です。

景気がよくなっていると言われていますが兆しが現れると直ぐに増税などでブレーキをかけるので今のところ豊かになる見込みはありません。
人間貧しいと自分のことしか考えられなくなるものなので今後も特殊詐欺や強盗など犯罪は増えると思います。
ただし詐欺が増えたら詐欺被害も増えるのかというと増えないと思います。
そう考える理由は詐欺が日常茶飯事になるとそう簡単には騙されなくなることと騙される側も責任感が薄れ身に覚えのある支払いすら逃げるようになり、身に覚えのない支払いなど相手にしなくなると考えます。

とはいえ詐欺の増え始めは要注意です、石橋を叩いても渡らないぐらいの心掛けが必要です。

正義感

昭和のテレビ番組は誰がどう見ても完全な悪者と完全な正義という構図が普通だったのですが、徐々にそれぞれの立場の正義という描き方をされるものが多くなってきました。
また最初は正義で始まったことでも徐々に悪に染まっていくというストーリーも有ります。
しかし案外その表現は正しく視聴者に伝わっていないのかもしれません。

近年はインターネット利用の低年齢化のせいなのか大人になれない大人が増えているのか解りませんが正義感を持つ悪が増えていると感じます。
ここ数日も何か起こっているようですがよく知らないのでそれは置いといて解り易い少し前のことです。

些細な交通トラブルから命を奪う事故というよりは事件に発展したケースが有りました。
この事件自体は非常に善悪が解り易く犯人を憎んだ人も多いと思います。
しかしこの事件、妙な飛び火をしていたようです。
ネット上のガセ情報に踊らされてまったく関係のない家族を犯人の家族と思い込んで嫌がらせをしていた方が複数居たようです。

もしも仮に本当に犯人の家族であったとしてもこの嫌がらせ自体は犯罪でしかありません。

およそ嫌がらせを行っているのは子供ではないと思いますが中身は子供です。

子供というのは幼い頃は家庭が世界の全てでそこから徐々に世界を広げて行きます。
世界が広がれば色んな価値観とも触れ合い常識を変えていくものです。
まだ狭い世界で生きている子供にとっては親は基準のようなものですから親の話す愚痴や噂話を真に受けて、その相手に対して嫌がらせをするケースって案外多いんです。
昔は子供の前で絶対にそこに居ない人の悪口は言わないという方針の親も居ました。

成長につれ世界が広がり色んな価値観を理解すると親は絶対に正しいわけではないということを理解しその言動の重要度も低くなります。
昔と今と何が違うのかよく解りませんが親の精神の低年齢化も進んでいるような気がします。

正義感は決して悪いものではありません。
しかしその正義感から行う行動が正義なのか悪なのか慎重に考える必要があります。
誰が悪いとか考える前に自分自身の行動が正義であることに努めましょう。