遅れてきた反抗期

最近妙に反抗的な発想をするおっさんの日記のようなもの

以前はテレビや世間・ネットなどの情報を簡単に信じていた私ですが最近は妙に信じなくなってきたどころか反論すらするようになりました
主にそんな反抗的な見解を書いていこうと思っています
しかし無駄に長かったり話の方向がブレて着地点を見失う癖があります

ヒアリ騒動

ヒアリに刺されると死ぬこともあるということになっていましたが実はヒアリで死んだという話が見つからないらしいですね。

しかしこの話も実際正しいのか疑わしいです。
それほど危険じゃなければ海外での対策なんて話も「見つけたら駆除する」程度なんじゃないかと思いますが、アリよりももっと危険そうなハエで駆除なんて話も出ています。
この駆除話が本当ならそこまでして駆除する理由があるはずですが、ヒアリの話も駆除の話も先走った方が一部で囁かれていたネタを見つけてきているだけじゃないでしょうか?


今回なぜこんなことになったか考えてみましょう。(あくまで仮説です)
近年SNSで注目されたい人が色んな騒動を起こしていますが、これはSNSに始まったことではなく大昔からあることではないかと思います。

話を盛るとか膨らますとかいう行為です。
人によって目的もやり方も違いますが、誰でも少しは心当たりがあると思います。

今回のヒアリ問題に当てはめて予想すると
・現場で作業をされている方がアリを見つける(刺されて初めて見つけたのかもしれない)
・これを報告する際にただ「海外のアリが入り込んだ」では「駆除しておけ」で終わりそうで話を盛った。
 実際に話をした結果、反応が薄かったために話を付け足したのかもしれません。
・「刺されると死ぬかもしれない」という話になると深刻な問題となり、その場だけではなく関係各所での調査や駆除が必用になった。
 「アメリカでは年間100人程度が命を落としている」は話を盛った部分ですが
 これは2段階で盛られたのではないかと思います。
 人から人へ伝える度に話が盛られるとこのような事も起こり勝ちです。

話を盛った目的というのはまた何通りか考えられると思います。
・「刺されると痛いアリが繁殖したら大変だから大々的な駆除をさせたい」とか「刺されないように注意させたい」という正義感や親切心から
・自分が刺されたアリが凄いんだということにしたい方向性を間違えた妙な見得のようなもの
 (「寝てない」とか「体調悪い」などをやたら話したがる人がやり勝ち)
・盛った方が話として面白いから
など

人に何かを話すときに興味を持ってほしいという気持ちは持つと思いますが、話を盛るなら嘘にならない程度か確実に嘘と解る冗談にしましょう。
嘘の具体的なデータはいけませんが自分の感想など主観的なものなら盛り放題です。

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脳も筋肉

体育会系のギャグでも何でもありません、使えば発達し使わないと衰えるという認識の代表として筋肉を選びました。
人間の能力のほとんどは必用とされれば発達し、必用とされなければ衰えるもです。
筋力を付けたい人・減らしたくない人は筋肉トレーニングを欠かしません。
これはトレーニングによって体に「筋力が必用なんだ」と訴えているんです。

同じように脳も必要とされれば確実に発達します。
筋肉を例にした事でおよそ見当はつくと思いますが頭を使ったからと言って急に頭がよくなるものではありません。
日々脳を使うことで徐々に発達するので本人がそれを実感するのは難しいかもしれません。

例えば買い物をするときに合計金額がいくらになるか暗算で計算する人って昔はかなり居たと記憶していますが近年は希少になっているんじゃないかと思います。
多くの人が単純な足し算ぐらい出来る、出来るけど必要性を感じないからやらないんだと思うんじゃないでしょうか?
しかしこれ意外と難しいです。
何が難しいかというと計算だけじゃなく買い物のことも考えなければ買い物が出来ないんです。
でもこれを日々続けていると特に意識することもなく買い物しながら頭の片隅で計算が出来るようになります。
これが必要としてそれに応えた結果です。
逆に出来るけどやらないという人はいつか脳が衰えて出来なくなる可能性もあります。

普段何かをやりたいと思っても自分の能力じゃ無理だと諦めている事ってないですか?
やらなかったら一生無理です。
始めてみてください、真剣に考えてみてください。
もしかしたら行き詰って何日かかっても理解出来ず結局諦めるかもしれない。
でも真剣に考えたことは決して無駄にはなりません。

考えることで鍛えられた脳は意外なところで力を発揮するかもしれません、物事の考え方は案外通じるものがあるからです。
そして他で力を発揮したときに更に脳は鍛えられます。
いつか『そういえば諦めてたことがあった』なんて思い出してもう一度取り組んでみると案外楽に理解出来てしまうこともあります。

例えば子供の頃に勉強が苦手だったので子供に勉強なんて教えられないと思っている方が居たら試しに子供の教科書で勉強してみてください。
子供の頃は理解出来なかった事でも仕事などで頭が鍛えられていて容易に理解出来て子供に教えられると思います。
仕事すら面倒なことは他人任せにしていたら難しいかもしれませんが…

面倒だからと他人任せにしないで普段から頭を使いましょう。
くだらない事にも緻密な計算をしたら意外と面白いことも多いものです。
本来有るはずのない法則が見つかってイカサマに気付くなんてことも有るかもしれません。

ただし他人が何を思っているかなど絶対に答えの出ないことを考えるのは止めましょう。
もしそれを本人に確認して思った通りだったとしてもそれは自信を持つべき事ではありません。
たまたま予想が当たっただけです。
絶対に考えてはいけないわけではありませんがそれは可能性であって確定ではないということを頭に置かないと他人を嘘つき呼ばわりする真の嘘つきになってしまいます。
また自分自身が根拠としている事が視野を広げて見ると根拠にならないということも有りがちです。
妙な決め付けは決して頭を鍛えません、色んな可能性を無視した決め付け癖はむしろ衰えるのと同じです。

都議選自民党大敗

一時的なものでなければいいのですがタイミング的に特定の議員などに対するものでその方が居なくなればまた寝返るのかな?同じことの繰り返しなんでしょうね。

もしもこの勢いで国政も自民党が大敗したとしてもまだ自民党勢力は残るでしょう。
そして自民党が反対すればまた何も決まらない、何も進まない。
そこで「何も出来ない政権だ」と言ってしまえばまた自民党に政権が戻る。
しかも更に自由に何でも出来るという特典付きです。
このシナリオを想定してか20年以上かけて国民をコントロールし易くした結果でしょう。

しかし理由はどうでも焦りミスの総合デパートみたいな総理大臣を下ろす事には賛成です。
メディア戦略はかつて小泉純一郎さんを成功に導いた方が助言してたらしいですが焦りミスばかりでやりがいが無かったんじゃないかと思います。
でも最初の頃のメディアの使い方はとても同じ方が助言してるとは思えない酷さでした。

自分自身はどういう政権になっても不満は絶えないんだろうとは思います。
だいたい政党政治というのが嫌いなんです。
近年では一般人に聞こえる声で党の意向に背いたら除名だのって言いますよね?
これって何百人も居る国会議員が無駄だと言っているようなものじゃないでしょうか?
何百人居ても党の数しか意見を持てないなら各党1名の議員でいいじゃないですか。
選挙結果の票数割合をその各1名の影響度とすれば同じことです。

それに人間って1人1人はそんなに悪い人じゃなくても群れると悪くなることって多いと思います。
例えば悪い人じゃないんだけど口が悪くてブラックジョークを言う人って居ますよね。
そしてその人と付き合いの長い人なら『またそんな気もないのに言ってる』ぐらいに聞き流すことでも付き合いの浅い人は冗談かどうか解らずそれを真に受けてしまう。
この辺が人が群れると悪い方向に動きやすい理由なんじゃないかと思います。

そろそろ金のためでも名誉のためでもなく日本を良くしたいんだって人が大勢現れ欲しいところですが20年以上かけて貧しく飼い慣らされた国民には無理でしょうね。

宗教

日本人は無宗教派が多いなんてよく言われますが本当にそうでしょうか?
ほとんどの人の実家には仏壇があり、どこかのお寺に先祖代代のお墓があって時々墓参りをしているとしたらそれはもう立派な仏教じゃないでしょうか?

それでも無宗教と言い張りたい人は、これまでいくつかの新興宗教が起こしてきた問題で宗教に悪いイメージが付いてしまって自分は無宗教だと思いたいだけじゃないでしょうか?
しかも無宗教と言いながら墓参りや初詣などに出向き、おまけにキリスト生誕祭まで祝うとしたらもう頭がおかしいレベルです。
しかも悪いイメージから無宗教でありたいと思う人は案外ちょっとしたきっかけで宗教にのめり込み易い人が多い傾向にあります。

宗教は必要か?不要か?この答えは人それぞれだと思いますが本当に宗教が不要な人はかなり少ないと思います。
人間というものは非常に心の弱い生き物ではないでしょうか?人生の中で1度も心病むことなく終われる人は1割に満たないらしいです。

宗教は大雑把に言うとそんな弱い人間の心を支えるものではないかと思います。
少し砕いて言えば大きな役割が2つ、1つは人が夢も希望も失ったときにでも生きていく理由となる何かを示すこと、もう1つは他人との関係性を保つために他人に迷惑をかけない道徳的な心掛けを促すこと。

そしてこの2つは決して悪ではありません。

よく特定の宗教や人に対して洗脳だとか悪徳だとか言われたりしますがそれらが悪か?と言えば悪だとは限らないと思います。
むしろ当人同士の関係性を知らない赤の他人が悪だと決め付けて責める方がもしかしたら悪なのかもしれないとまで思います。

世の中には色んな人がいて、命令されることで安心する人も居ます。
もしかしたらお金をつぎ込むことで何か安心するなんて人も居るかもしれません。
(どちらも単に依存症でそれを利用されている可能性が高いですが)
なので例えば傍から見てあの人は洗脳されてお金を取られていると見えても当事者同士は命令されたい人・命令したい人、お金が欲しい人・お金をあげたい人という利害関係の一致により結びついている可能性だってあります。

こういうと「みんなが悪だと言ってるんだから悪だ」という人も居るでしょう。
でもこの「みんなが~」というのは日本人が(日本人だけかは知りません)幼い頃に植え付けられてしまう「みんなと同じは良くて違ったらダメ」という意外と危険な思想でイジメの1つの原因じゃないかと思います。
更に危険なのはこの思想の発展型、自分はみんなと同じ極普通の人だから自分の思ったことは大半が思っているんだという思い込みです。

個人的な価値観で言えば例えば望みもしないのに勝手に押しかけてきたりああしろこうしろと命令する宗教は全て悪だと思っています。
良い宗教は道徳的な面で「こうするな」とは言っても「こうしろ」という具体的な命令はしないものと思っています。
なぜ宗教戦争とかテロとか殺人を犯させるおよそ人を許すということを知らないものを神と信じられるのか不思議です。

また宗教などで現存の絶対的な権力者などを設定するのは絶対に信じません。
なぜなら人間だからです。
人間は日々色んな出来事があり、それに影響を受けて変わっていくものです。
たぶん世の中のそういう人達の中には元は本当に良い人だったけど崇められて調子に乗って悪い心が芽生えた方も居るんじゃないかと思います。
また自分自身が変わらなくても自分を取り巻く環境が変わり利用される事も考えられます。
技術や法律の変化で今日の最善の選択が明日には最悪の選択になる可能性すらあるわけです。
特定の人を絶対的な存在として崇めるなんて危険すぎます。

宗教肯定なのか否定なのか何が言いたいのか解らなくなってきましたが宗教と聞いて内容も解らず毛嫌いしちゃいけないということ、そしてよく知らない他人の事を勝手に悪人と決め付けちゃいいけないということです。

特にマスコミの事件取材は予め善悪を決めつけて行うことが多いので要注意です。
『悪』と決めつけられて責めるような取材を何度も繰り返されたら大抵の人は怒りますよね?
視聴者にいかにも悪い人という印象を与えるVTRはこうして作られてるんだと思います。
中にはごく普通の質問を無意識に裏の裏の斜め上ぐらいを読んで1回目から激怒する方も居ますけどね。

オレオレ詐欺撃退法

オレオレ詐欺が流行ってからかなりの月日が経っていると思いますが今まで身近でそんな話を聞いたことがありませんでした、しかしやっと身近なところまで電話がかかってくるようになりました。
自分自身も若い頃から詐欺的なものは何度か遭遇していますが詐欺かどうかは騙されてみないと解らないので解りません。

最近聞いた話から解る事、それは実行犯はあまり頭が良くないということ。

久しぶりにかかってきた子供からの電話で子供がバカになってたらかなりショックを受けるんじゃないかと思いますがそれで詐欺と気付いたのでまぁいいです。
バカを演じることで焦らせようとしている可能性もありますが話を聞くと本当に頭が悪かったようです。

では詐欺師はバカしか居ないのか?
これについては程度問題ですがバカとは限らないと思います。
ただしおよそ子供の頃から立派な詐欺師になろうと努力した子供は居ないと思います。
どこかで脱落して詐欺師になったとしか考えられません。
だとすればやはり頭が良くない傾向になるんじゃないでしょうか。

いよいよ撃退方法です。

まず声が違うところから始まって色々突込みどころ満載でしょう。
どんどん容赦なく突っ込みまくってください、きっと諦めます。

突込みどころが解らない?まぁそんな人も居ますよね。
ならば本人確認の為に合言葉を聞いてみましょう。

なに?合言葉を決めていない?そんな人って居ますか?

それでいいんです、決めていない事を聞くから面白いんです。

合言葉が露骨にコントっぽいと思うなら孫のことを聞くのもいいでしょう。
「ろろちゃんは元気かな?あの…ろろちゃん…何て名前だっけな?」
孫も居ない?それでもいいんです。
きっと相手は『ろろちゃん?ろろ?どんな名前だよ?』ってなるでしょうね。

他にも…まぁこのような事を言い続けたら面倒くさくなって諦めるでしょう。
およそ真っ当な職業から逃げ出したぐらいの人たちですから

もしも本人だったら?それでもいいじゃないですか、焦った様子なんて一番素が出る状況なので本人確認し易いと思います。

一番心掛けるべきは”焦らないこと”です。
更に言えば相手を焦らせることです、焦った方が負けだと思ってください。

~以下は「焦り」についてのオマケ文章です~

詐欺ってのは大体相手を焦らせて騙すんです。
例えば普通に考えて儲かる話とか騙されるなんて有り得ないでしょう。
そんなに儲かるなら本人がやってるでしょう。って言うと権利がどうこうとか言い訳するでしょうが、一番有り得ないのは儲け話を見ず知らずの電話番号しか知らない赤の他人に持っていく事です。
あと遺産相続の詐欺なんてのも有りましたよね、手数料がかかるなら遺産の方から出せよって話ですよ。
これでも騙される人は居るんです、決して話の出来がいいわけじゃない。
単に上手く相手を焦らせただけです。

”人間焦ったときは視野が狭くなり選択を誤りやすい”

これは是非覚えてください。
詐欺だけではありません、有り勝ちな2人組の置き引きなんかも基本はこれです。
他人に声をかけられたら多少なりとも焦るでしょう?相手が外国人で外国語だったら効果絶大だと思います。焦らなかったら警戒心強化になりますけどね。
更に”焦らせる”を強化したものが飲み物などをかけて「ソーリー」などと言って拭いたりしている内にもう1人が荷物を持ち去るというスタイルです。

この焦らせるというのは犯罪じゃなくても日常的に使われています。
例えば宣伝広告などで○月○日まで!と期限をきることにより『今だけだ』と思わせるやり方です。
1日限定の目玉商品が実は全然目玉商品じゃなかったなんて経験ありませんか?
今まで4万円ぐらいで売っていたものが限定特化で3万円になってて並んでまで買ったのに翌週には3万円が極普通の値段になってるなんてよく有る話です。
これ単にニューモデルが出て値下がりすることを知って他社より早く在庫処分するために前倒しで価格を下げただけです。(売れ残ったら更に値段を下げなきゃいけなくなるので)
これも視野を広げれば解りそうなものですが、焦る事で何で安いのかよりもどういう予定で買いに行くのか?お金は大丈夫か?などばかり考えるために気付けなくなるわけです。

飲食店なんか1日○食限定なんてやっている店で実は特別なメニューでもなく誰も何食出たかカウントすらしていないなんて店もあります。(限定することにより飛びつく客が居るために限定と書いているだけ)

焦りを捨てたらきっと騙されることもなく普段の失敗もかなり減ると思います。
焦りは捨てましょう。

性格は変わらない?

結果から言えば変わります。
しかし性格というのはこれまで生きてきた人生全てをかけて作り上げてきたものなので突然変われと言われて変わるものではなく、ある程度の学習能力とこれまでの人生を上回る経験が必用です。
上回ると聞くとかなり難易度が高く感じるかも知れませんが難しくはありません。
これまでやったことのない事をやればそれは上回っているのと同じです。

ここまでピンと来てない人も多いかと思いますが具体的な話をすれば解ると思います。
よく怒りっぽかった人が怒らなくなると「丸くなった」と表現されます。
これが高齢者の場合は脳の病気やその前兆の可能性もありますが多くの場合は20代か30代ぐらいで言われるんじゃないでしょうか?

人が怒る条件というのは大抵は想定していない事が起こったときです。
ある程度の学習能力が有れば怒りながらも一度経験した事は次回から想定するようになります。
心の中で『まさかとは思うけどこうなるんじゃないか』と想定したとしましょう。
ついでに『もしそうなったら怒ってやろう』と思ったとしましょう。
しかし実際にそのまさかが起こった時、想定していなかったときほどの衝動的な怒りは込み上げません、むしろ『やっぱりか』と諦めにも似た感情がわきます。

起こってしまったことを責めるよりこの先どうするか考えます。
これが丸くなったの正体です。
逆に言うとよく怒る人は経験も想定も浅いということです。
何度も同じことで同じように怒れるとしたら学習能力も怪しいと思います。

よく怒るといえば一部政治家の姿を思い浮かべる人も居るかと思います。
政治家の多くは大した社会経験もなく若い頃はどう転んでもいいような事を扱ってきて周りから持ち上げられて不快な事を避けてきていることが多いので、ある程度の年齢になって重要な役割を持って他の党との対立やマスコミ対応という初めての体験をするためではないかと思います。

話を戻して今の性格というのは幼いころからの経験で出来ています。
子供というのは知識ゼロで生まれて親を中心とした自分を取り巻く環境などによる教育で知識も性格を変わります。
教育といっても環境から飛び込む情報とそれに対して持った疑問を質問し、親などがそれに答えるだけです。
近年核家族が普通になって十分に子供の相手をする時間がないためにこの質問に十分な対応が出来ずに成長しきれない人が多いんじゃないかと思います。
また近年の日本では国民が貧しくなり金銭的に子供の興味の芽を摘まなくてはならないという家庭も多いと思います。
忙しさを言い訳に子供の質問に怒って黙らせるという対応をした場合に思考停止型の人間になるという意見もあります。

稀にテレビドラマなどで普段忙しい父親が稀に子供と共に行動する描写だと思いますが「何だお前こんな事も解らないのか?」というセリフを聞くことがありますがこう言ってやりたいです。

「何だお前そんな事も教えてないのか?」と

子供を育てる立場にある人は日々1人の人間のパラーメータ設定をし続けているという意識を持って、いい加減な対応や質問に対して怒って黙らせるということのないよう注意する必要があります。

線路上逃走

最近、痴漢を疑われた方が線路に降りて逃走するというケースが増えているようで以前にもテレビで取り上げていていました。
そのときには痴漢事件は冤罪だろうが警察沙汰になった時点で社会的地位など全て失ってしまうために逃げるのは仕方ないなどと言っていたのですが、今回実際に線路に降りて逃げた人が居たための報道ですが、もう完全に犯人扱いでした。
線路に降りることがほぼ犯罪で今回ダイヤがかなり乱れたこともあり犯人というのは間違いではないんですがこの流れでは痴漢の犯人と認識されて冤罪の可能性がないかのように感じるのでもう少し配慮が必用なんじゃないかと思います。
例えば線路に降りて移動した事について犯人とした上で犯行動機に痴漢を疑われたとを挙げるなど色々方法は有ると思います。

正直、痴漢事件の9割は冤罪だと思っています。
これは自分自身が触れることにそれほど魅力を感じないからというのも有りますが思い込みと妄想による冤罪の起りやすさを重視しています。

朝の通勤電車で他人にまったく触れずに乗るというのはほぼ不可能だというのは全ての人が認識していると思います。
しかし一度『今触られたんじゃないか?』と思い込んでしまったらそこに意識が集中して電車の揺れなど考慮せず『また触られた』となると思います。
しかも目で見ておらず感触だけなので例え最初に触れたものと次に触れたものが違うとしても本人は同じものに繰り返し触れていると思い込むわけです。

更に怖いのが妄想が暴走するタイプの人でおよそ100人に1人居ると言われていますが、それは恐らく医師の治療を受けた人であって本人がそれを認めずに治療を受けず一生を終える方も相当数居ると思います。
このタイプの人は触れたという事実すらなくても被害に遭ったと認識してしまいます。

これでもしまた話が大きくなった事で痴漢冤罪自殺事件なんて事になったらテレビは話を大きくしたことを詫びることもなく冤罪を責めるんでしょうね。